2009年9月5日

認知は分けても役立たない?

本棚を省みずに買い込んだ本のタイトルをインスパイヤことパクる。

世界は分けても分からない

なかなか興味関心にしっくりくる感じで、分子生物学に触れる。
ランゲルハンス島の話もさることながらステキ文言に溢れていた。

『全体は、部分の総和以上の何ものかである』

『ミクロなパーツにはなくても、
 それが集合体になると加わるプラスαとは何か?』

霊だ!魂だ!と言いたくなった俺はおそらく脳筋。



さて。
昨年2月から根性を入れてきたWSも終わり、
そこで考えた事をツラツラ。いつまでも竹林でさまようわけにもいかない。

自分自身の発表のコンテンツとスタイルを除き
とても楽しかった。
言いたいことをぶつけてみて、思いの他な方々から返球をいただく。
それが誰かにとって刺激になってくれたのなら申し分なし。
現にコメント以外にメールが届いていて、反響の意外な大きさに戸惑う日々。
メールのやり取りに忙殺されるのもまた楽しいものだ。
以上、企画者として。


以下、話題提供者として。
おそらく「ブラックボックス=マトリョシカ」話はここ数年のポスター会場で感じていた
『通じない感』をまるっと説明してくれるステキ概念。

自分が研究している認知の『サイズ』はどのぐらいなのか。
その『サイズ』に設定している『目的』は何なのか。
ちがう『目的』と『サイズ』の人と協働をするためにはどうすり合わせるのか。


フロアの方はおっしゃった。
「臨床ではそこまで細かく分けませんけどね」


おっしゃるとおり。
分けませんな、自分も。注意やら記憶やら。
『相手を理解せんとする目的』では扱いにくい、と思う。

『目的』に関する興味を共有できるか否かによって、
オモチロサが共有できる否かが決まるのだと思う。

自分の発表-質疑応答で感じた皆々様の身体反応が
最も大きかったポイントは、
“やってみて効いたから”というトップなダウンではなく、
ボトムなアップで“メカニズム的に効きそうっす”なところ。

おそらく参加していた人の興味の中で多数派と思われるのは
『こういうアプローチが臨床心理学のどこにどういう風に役立つのか』。
アイツとオイラの共有可能な興味関心。

「どういう風にこの研究を役立てたいと思っているのか」
「どういう研究を自分の臨床活動の中で欲しているのか」

こういうことを考えているお互いならば、
サイズが多少違えども前向きに喧々諤々できるはず。
正直、ズームアウトされすぎてもズームインされすぎてもよく知らない。
詳しい人に教えて欲しい。プロジェクトX的に。
メンドイもん。
近づいてみるとお互いの違いがざくりと刺さりあうのではなかろうか。
その刺さりあった針だか棘だかが橋になるかどうかはお互い次第?



別のワークショップにて『なぜコラボレーションしたいのかわからん』と
ニヤリと語る認知心理学サイドの指定討論者を目にした。
実はメールを送ってみたり。

それは一見「( ゚д゚)、ペッ! 」にも見えるが、そうでない(はず。
『きさんと組むことで俺に何のメリットがあると?』
そんな愛の一言に返せる言葉は何が有るだろうか。

『理解』担当?『操作』担当?『予測』担当?

そこはワロンさんの

精神病理学は
正常心理学と根本的に異なるものとみなされるべきものではなく、
心的メカニズムや心的法則を知るための
地味な援助手段なのだ(精神病理の心理学,pp8)

というお言葉に沿って、実際にやってみせる必要があろうて。
より現代の、みたいなくくりが生じそう。


先のフロアの方々。
『わざわざそこまで細かく分けて、臨床の何の役に立つの?』

改編板。
認知心理学は、
臨床心理学と根本的に異なるものとみなされるべきものではなく、
病理メカニズムや生起・維持の法則を知るための
地味な援助手段なのだ
とかってなるのかしら。
『地味』なだけに、ちゃんと意図/説明しないとわからなくなっちゃいそう。
…う、苦しい。死ぬ。


「認知心理学的アプローチを用いた臨床心理学的研究の可能性」
「臨床心理学的問題を持つ対象への認知心理学的研究の可能性」

新しいような古いような。。。


分けただけでは役立たない。
役立てようと思って分けて、最後は戻す?

ここらへんを10月末にまた学外の人にぶつけてみようかねー。
ようやくコメンテーターや話題提供者のエントリを読めそうな。

2 件のコメント:

mochi さんのコメント...

真摯な,丁寧なご発表だったと思ってます。
性格が滲み出るというか。

お教え,勉強させてもらいました。


> 反響の意外な大きさに戸惑う日々

意外,だったんだね。その点が意外。
企画そのものもそうだし,
WS2時間の時間の配分も良かったのでしょう。
企画者のプロデュース力の成果。

いろいろな機会に苦しみ(?)があったりするようですけど,
病理メカニズムや生起・維持の法則を知るための,
という目的からしたらむしろ 王道路線 じゃないですか。
そういうスタイルでアプローチしている人が今のところ少ないだけで。


> 役立てようと思って分けて、最後は戻す?

どう戻すかをこそ気にしたいところです。

また話しましょう。

あっとまーく さんのコメント...

絶妙に堅すぎず、柔らかすぎない司会の妙だと思われますw

反響の大きさの意外さは
参加者以外の方から人づて(ゼミづて?)でメールをくれる方が多い点で四苦八苦。

そういう使い道すか/そんなオモチロイことに?/負けてられん的な

修士課程の人からメールをもらえると、
研究の『種』になる内容と受け取られている事がとてもうれしいです。

『王道』と呼べるかは分かりませんが、
どうやら当方の針/棘に刺さってくれた方はおられる様子でうれしいやら身が引き締まるやら。


分けて戻す…WSでは『臨床の視点から見た使い分け』とか言ってしまった部分ですね。
どう便利に使えるのか(臨床の現場で見える形に近づけるか)まで考えて、
ひと段落なような気がしています。

しかし、そこが難しい。
どうしようかを考えてワクテカしている毎日です

ぜひお話したいです