2008年12月15日

そこには今と変わらぬ記述があった

通勤の小田急線にて3周目のアンリ・ワロン様。
ようやっと節々に散りばめられた金言に気付き始める遅さ。
満員電車と早朝を理由に出来ない理解の遅さよ。


精神病理学は、症状を分化させ、精神医学がまだ論争し合っているような混乱から
症状を引き出して、疾病学的分類のなかへ、それを位置づけるのを助けることができるのである(p3)


精神病理学は、正常心理学と根本的に異なるものとみなされるべきではなく、
心的メカニズムや心的法則を知るための地味な援助手段なのだ(p9)


フロイドが無意識的なものと性欲とを同一視するという事実は、
無意識的なもののなかにはいりこむという主張や、
無意識的なもののコンプレックスを説明するという主張や、
さらに、無意識的なものを意識へ解消するという主張ほど非難されなかった。
というのも、夢が展開されたり象徴がつくられたりする過程
どんなに非合理に見えても、
もしそのメカニズムを立証できるのは、
そのメカニズムが人間精神に接近できるある種の論理に対応しているからだ(p35)


心理学者が、精神的エネルギーやその程度やその様式について語ろうとするならば、
生活体やその機能やその器官の知識が登録する用語や概念を、
必要なばあいには用いることができなければならない。
精神生活の基本的な起源は、まさにそこにあるわけで、
生理学的相関のない実体のなかにあるのではない(p40)




徹夜明けの頭で列挙。

何なの?
仮説構造体とか反証不能な概念の問題点とか、
某会長が今年とか去年に語ってた事は、1926年にもう警鐘が鳴らされてるじゃないか。

「理解のしやすさ」で概念をトップダウン的に設定しちゃうと、
まるで観察・実証・記述できなかったり、
おおもとの体や脳の『機能』と関係のないお話だけになっちゃうじゃんyoってさ。

チクショウ、もう1周だ。

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