2010年2月11日

「研究の臨床的意義って何ですか?」

と、ゲストに招かれた「研究法」の学部生さんから尋ねられる。
熱いなオイ。

「どうやったらおもしろくなるか」という点で議論を行うお二方と、
それを見守るインストラクター殿の関係性も非常に好ましいが、
上記の質問は、臨床心理学の研究に向きあおうとしている感じで実に好ましかった。


どういう風に活かせるのかは、臨床心理学の研究者「が/も」考えるべきこと。
『どこの視点から』『どんな風に』とか。

「精神的健康の従属変数を加えれば臨床心理学」というのは思考停止に近い、と思う。




という説明の時に"マトリョーシカちゃん"は実にマジカル。


その心的現象に対する独立変数の設定の際、
「どの視点から?/どこから?」は広くも細かくもできる。

・日本人の特徴とかから、臨床的意義を考えたいなら、文化心理学的な変数を、
・個人と社会との関係性から、臨床的意義を考えたいなら、社会心理学的な変数を、
・もう少し狭い関係性の特徴から考えたいなら、家族心理学や発達心理学的な変数を、
・個人の特徴のレベルで考えたいなら…
・その特徴のメカニズムで考えたいなら…
・メカニズムを支える生理的基盤で考えたいなら…
・生理的基盤で働く神経伝達物質で…


やはり研究者のスタンスによって、最適サイズは異なる。
マトリョーシカちゃんはどこまでも大きく、どこまでも小さくなる。

どのサイズで意義を見いだすのか/興味を持つのかは、
臨床家のスタンスによって異なる。はず。
読みとく際に、研究者が論文上で設定している最適サイズを、大きくしても小さくしても、
そこに臨床的な「示唆」は存在する。
別に、完全に合致している必要はない。お互いが、お互いのスタンスを尊重しつつ、
自分の目的につながるように、調整して情報を交換すれば良い。



うへへへへへ、楽しい。
もう少し文献的にレビューして、マトリョーシカちゃんを整えたいものだ。


とりあえずゲストなのにおごらされたアルルのケーキ代は
この楽しい思考時間の対価として十分だったとしよう。

1 件のコメント:

インストラクター さんのコメント...

ごちそうさまでしたwww